令和八年の七福神めぐりは、深川七福神です。森下駅から門前仲町まで約6.0㎞を歩きます。深川七福神巡りは、江戸時代に始まった七福神信仰が基盤で、明治末期から昭和初期に盛んになり、戦後中断後、1970年(昭和45年)に復活した歴史を持ちます。深川の寺町としての発展と結びつき、深川八郎右衛門による開拓の歴史を持つ**深川神明宮**(寿老神)を起点に、富岡八幡宮(恵比寿神)など、江戸の面影を残す7つの社寺を巡り、福を授かる行事として親しまれています。
また、今回の七福神めぐりでは、途中に通りかかる芭蕉記念館と清澄庭園に入館・入園します。
小江戸川越、谷中、山手、隅田川、品川東海、新宿山之手に続く、今年の新年恒例七福神めぐりにお参りしませんか。
▼▼▼【新年恒例】『令和八年新春!深川七福神めぐり』▼▼▼
【開催日】2025年1月3日(土)
【時間】9:45~14:30(予定) ※集合9:45
【コース】深川七福神めぐり
【集合】都営新宿線・都営大江戸線 森下駅改札口 *改札は一つだけです
【解散】門前仲町駅周辺(12:30ごろ)
【参加費】1名 9,900円 ※税込み
*御朱印色紙付き
【募集人数】10名 *定員になり次第締切ます
【お土産】『みなとや』の「干支(午)煎餅・七福神煎餅」
【昼食】門前仲町の人気のイタリアンレストラン「Cerdi(チェルディ)」
*乾杯用ドリンク・ランチサラダ・パスタ・ピザ・メイン(若鶏のオーブン焼き)・黒糖ティラミス・コーヒー
【参加費支払】クレジットカードでの事前決済(VISA・MASTER・JCB)
【主催】大江戸歴史散策研究会
★★★ 令和八年新春!深川七福神めぐり2026 ★★★
森下駅(集合)~深川神明宮(寿老神)〜<芭蕉記念館>〜深川稲荷神社(布袋尊)〜<清澄庭園>~龍光院(毘沙門天)~円珠院(大黒天)~心行寺(福禄寿)~<深川ゑんま堂>〜冬木弁天堂(弁財天)~富岡八幡宮(恵比寿神)(解散)
【深川神明宮(寿老神)】
寿老神は、深川神明宮の境内の寿老神社に安置されています。
深川神明宮は、深川において創立の最も古い神社。大阪摂津の深川八郎右衛門が、この付近に、その鎮守の宮として、慶長元年(1596年)伊勢皇大神宮の御分霊をまつって創建しました。徳川家康が、この村に来て、深川八郎右衛門の姓をとって、深川村と命名せよといわれ、深川の地名のもとになりました。
【深川稲荷神社(布袋尊)】
布袋尊のまつられている深川稲荷神社は、寛永7年(1630年)の創立。この付近の旧町名は、深川西大工町でした。神社の裏の小名木川は、江戸時代初期から、船の往来がはげしく、この付近一帯に船大工が住み、船の修繕、造船をしていました。この神社は、無住社にして、町会によって管理運営されています。
【龍光院(毘沙門天)】
龍光院は、浄土宗雲光院の塔頭寺院で、慶長16年(1611年)馬喰町(中央区)に創立。明暦3年(1657年)の大火に焼失。天和2年(1682年)、深川の地に移転しました。龍光院が現在地に移ったとき、鬼門除けとして境内東北角に、三尺ほどの石造の毘沙門天が安置され、昭和11年には境内の東南角に一間半四面の毘沙門堂が建立されました。昭和20年、戦災のため、堂宇は焼失しましたが、復興し、昭和50年、木彫の毘沙門天が安置されました。
【円珠院(大黒天)】
円珠院は、享保年間(1715〜1736年)旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立し、後に、円珠院殿妙献日寄大姉の法名で、享保15年末(1730年)に此の寺に葬られました。享保5年(1720年)11月13日画かれた大黒天の掛軸があり、木造の大黒天が安置。
境内に石造の破顔大黒天が安置されています。江戸時代から、深川の大黒天として有名でした。
【心行寺(福禄寿)】
福禄寿の安置してある心行寺は、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立された浄土宗の寺院。開山は観智国師の高弟・屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室・養源院殿。寛永10年(1633年)現在地に移った由緒ある名刹。関東大震災と昭和20年の戦災により二度も焼失。現在の本堂は昭和42年に再建。昭和50年に福禄寿が安置されている六角堂が完成しました。
【冬木弁天堂(弁財天)】
冬木弁天堂は、木場の材木豪商・冬木弥平次が、宝永2年(1705年)、茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置しました。そのためいまでもこの町を冬木町といいます。この弁財天は、等身大の裸形弁天にして、毎年一回衣装の着替行事をおこなってきましたが、大正12年の関東大震災に焼失しました。冬木弁天は、明治3年から一般に参詣を開放しました。現在の弁天堂は、昭和28年に再建されました。
【富岡八幡宮(恵比寿神)】
恵比須神が祀られている富岡八幡宮は、寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた小島に創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と居住地を開き、今日の八幡宮境内・深川公園地・富岡町・門前仲町を含む、総じて6万508坪の社有地を得ました。以来隅田川両岸一帯(深川及び現中央区新川・箱崎地区)の氏子を始め、広く世の崇敬を集めている江戸最大の八幡さまで、「深川の八幡様」として親しまれています。
<芭蕉記念館>
松尾芭蕉の業績を顕彰するため、芭蕉が草庵を結んだ深川の地に、昭和56年(1981年)4月19日に芭蕉記念館を開館しました。
<清澄庭園>
池の周囲に築山や名石を配置した回遊式林泉庭園で、東京都指定名勝に指定されています。江戸時代は、老中などを輩出した譜代大名の関宿藩久世大和守の下屋敷がありました。明治に入り、三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、以降、弟・弥之助、長男・久弥へと、岩崎家3代にわたって清澄庭園は引き継がれました。
<深川ゑんま堂>
日本最大の閻魔大王座像が安置されています。19のご祈願に対してお賽銭を投入すると、様々な説法を聞くことが出来るゑんま像です。江戸三ゑんまの一つとして庶民の信頼を集めています。